仙台からの手紙

松島在住のフルーティストが被災し、九死に一生を得て、先日、私たち同窓生あてに手紙を送ってくれました。本人の了承を得ましたので、ご紹介させて頂きます。

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(前略)

尋常ではない揺れに道を引き返して子供の通う学校へ急ぎ、自宅で猫を探し出した後、近所の実家へ行きました。海からは3キロ以上離れた場所なので津波の心配はせず、母と今後の食料の相談をしていましたら、すぐ近くまで波が来ていると消防車が回って来たため、何も持たずに車を出しました。信号機も消えた道路は山に向かう車で大渋滞、バックミラーには次第に迫ってくる黒い水が見え、子供たちを守りきれるだろうかと不安でいっぱいでしたが、水しぶきを上げながらも何とか山に登ることが出来ました。

その後は避難所でラジオに聞き入っておりましたが、あまりの被害状況に皆言葉をなくしておりました。次々に駆け込んでくる市民も、走りながら振り向いたときには息子が波に呑まれていた、母とつないでいた手が離れてしまった、力一杯抱いていた孫が引き波にさらわれた、と半狂乱で、今思い出しても涙が溢れます。

沢山の知人、友人、親戚が亡くなり、我が家は半壊、車は一台流されたものの、家族が欠けることなく揃っていることは本当に幸いだったと思います。

幼稚園の送迎バスが津波に呑まれ、火事に巻き込まれて園児と職員全員が焼死しました。黒こげのバスで我が子を探すお母さんたちの様子は胸の潰れるものでした。

鉄筋の建物の4階に避難した人たちが、高台の人たちに手をふりながら、建物ごと海に流されて行きました。

子供を抱いたまま亡くなったお母さんのご遺体は、子供が流されても腕の形はそのままでした。ペットを抱いていた人も同じです。

沢山の死を目の当たりにし、生死を分けたものは何だったかと考えても考えても答えは出ません。運だったのかもしれません。このような災害は二度と起きないことを祈りつつ、膨大な時間を要するであろう地域の再建に、全力を尽くしたいと思っております。

皆様も、万一の備えを忘れずに、お体に気をつけて、どうぞ充実した毎日をお過ごし下さい。

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