アジア若者オーケストラに参加した話。(1)

今は昔、まだピチピチの女子大生だった頃、アジア・ユース・オーケストラというミュージック・キャンプに参加した。歴史的ヴァイオリニスト故メニューインが創設した教育基金であり、オーディションにより選抜された東南アジア各国の若い音楽家が一堂に会し、文化交流を深めるというもの。参加者はシンガポール、ベトナム、マレーシア、タイ、フィリピン、香港、韓国、日本から集まっており、下は17才から上は23才位までと非常に若い。1ヶ月のキャンプの後、多国籍オーケストラで世界各国をツアーする。参加費は集合地までの旅費のみで、憧れの超一流演奏家の指導を受けることができ、なおかつ滅多に行けないアジア地域を周遊できる。毎夏開催されており、この年はシンガポ-ルでのキャンプ、そしてマレーシア・タイ・香港・韓国・日本(当初はベトナム公演も予定されていたが、クーデターが起こり中止)での計12公演が予定されていた。

当時大学3年生だったワタクシは元気ハツラツ、身も心も若かった。今思うと本当にコドモだったのに、大人だと思っていた自分が何だか恥ずかしくてたまらない。

1)宇宙人

NO!Stupid!(バカ)Once more!(もう一回)」…マーラーの交響曲第4番、第一楽章。最初の1小節のレッスンですでに1時間が経過していた。「NO!違うって言ってるダロこのタコ!もう一度!」我がフルートパートのスペシャル講師はD.ドワイヤー女史。女性として世界で初めてプロ・オーケストラに入団したフルーティストで、80才までバリバリの現役プレイヤーとして、かのボストン交響楽団に在籍していた、猛烈なテンションのおばあさん先生である。物凄いパワーとスタミナの持ち主で、一時もジッとしていられない。「NO!●▽※◇▲☆♀#!」頭の回転が早すぎて、ものすごい早口でまくしたてるが、何を言っているのかほとんど理解できない。英語だからとか、そんなレベルじゃなくて。ネイティブアメリカンをして ” She is spacy. ” (=宇宙人)と言わしめる程なんだから。そして二言めには「バカ!」英語だから半分くらいしか分からなかったが、全部マトモに受けていたら、おそらく相当のダメージを被っていただろう。 レッスン中はバカな生徒に必死で説明しようと、歌ったり踊ったり、椅子を持ち上げて走ってみたり、激しく暴れる。(一体どんな婆さんだよ?)噂では、指導に夢中でスタンドに立ててあった自分の楽器を蹴り倒したこともあるそうな。

フルートパートはシンガポール人のレイモンド、フィリピン人のジョンジョン、私の他にもう一人日本人でAYO常連のKちゃんという子がいて、計4人。初っぱなからたったの1小節で散々しぼられ、残りの数千小節とこの先数週間の長~い調教の日々に思いを馳せ、頭皮からイヤな汗をたらしていた。もう瞳孔開けっ放しで時が過ぎるのを待つしかないのか…しかし、ドワイヤー先生が普通の人間を超越しているのは、本当にモノ凄いオーケストラ・プレイヤーであり、歴史的偉人なのだから、ぜ~んぜん当たり前。我々フルーティストにとっては神様よりもエラい。どんなに酷く罵られても、深~い畏敬の念で、心の中ではもう1も2もなく土下座しちゃっている。(だからって、その年とその体型でショッキング・ピンクのホットパンツをはくのはいかがなものか。)と一瞬ツッコミが脳裏をかすめたりしても「イヤ、超人だからファッションも超越してるのだ」とすぐに納得!だって一度でも彼女の演奏を聴いたら、誰だって何も言えやしない。マーベラス!私はこの先生が大好きだ。いつまでも元気で暴れて欲しい…多分、私より長生きすると思う。

 

 

2)寮に入っては習うより慣れろ

AYOキャンプは夏休み中のシンガポールの大学を間借りして催された。広いホールと教室は空調完備、プールもある。食事は学食、セルフサービス方式で好きなだけ食べられる。時々朝に出てくるお粥が、涙でる程ウマかったりした。何の不自由もないのだが、一時が万事、ちょっとユルイ。オレンジジュースとグァバジュースがタンクに入れて置いてあるのだが、少なくなるとおばちゃんが出て来て目の前でザバーっと水を継ぎ足す。どうりで時々味がしない訳だ…。洗濯は各自、配付されたランドリーバッグに入れて出しておくと全部洗って乾かしてくれるのだが、戻ってきた衣服はシャツから下着から全部に油性マジックで自分のベッド番号が書いてある。そして薄手のハンカチなどはビリビリに擦り切れて帰ってくる。一体どんなモーレツな洗濯機で洗ったらこんなになるのだろう…

大学寮の部屋は9ベットの相部屋。天井に大きな扇風機が備え付けられてはいるがエアコンはない…何と壁がブラインド状になっている。風通しをよくするため最初からそういう建物に出来ているのだ。つまり野外と筒抜け状態。夜寝ている間の蚊がすごいので、耳なし法一のように全身に「ムシペール」を塗りたくる。ある夜、ムシペールを塗れなかった「頭皮」めがけて飛んで来た蚊が、寝返りをうった私の頭に潰され、あの世に召される瞬間の音を耳元で聞いた。「~~ン(!)…」それと、枕元にランの花を置いていたのがいけなかった。朝起きたらベッドの上が小蟻の遺体だらけ。しかしこんな状況にも1週間もすると慣れっこになってしまって、毎晩ぐっすり寝ていた。

寮のシャワールームは昔の市営プールの備え付けみたいで、あまり衛生的ではない…ちょっと慣れるのに時間がかかった。ふと壁を見ると全長15cm位のヤモリが「じいっ」としていたりする。これも、初めは「キャー」とか言って逃げていたけど、別に何の悪さをするわけでもないので、そのうち「あ、ヤモリ」位のリアクションでおさまるようになった。慣れってすごい。

慣れると言えば、シンガポールの地に降り立った時は「なぜ外なのに暖房が?」と思った程の暑さと湿気で、べとべとした悪い汗をいっぱいかいた。でも1週間も暮らしてみると暑さが全然気にならなくなり、むしろ日本より快適と思えるくらいに順応してしまった。毎夕決まってバケツの水をひっくり返したようなスコールが降って、それが過ぎると涼しい風がサーッと吹き込んで来て、夜になる。そうすると寝苦しいなんて事は全然なく、天井の扇風機で十分に快適なのだった。

 

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