フルーティストのための呼吸訓練法セミナー(6)

9. 研究論文を1から読む

『フルーティストの呼吸訓練法について』

~森 明彦氏の「新・発声入門」をひもといて~

目  次
序文
トレーニングに入る前に
トレーニングの課題とその効果
実際のトレーニング方法
参考文献

 

【 序 文 】

 

1) 呼吸法習得の現状

世界的に活躍している日本人のフルーティストは、その人口に比してあまり多いとは言えない。体格、言語、伝統、宗教…etc. 欧米の演奏家をとりまく環境と日本のそれには大きな隔たりがある。これを才能で補い、工夫と努力で立ち向おうとしているのが今の私たちである。ただでさえ2倍近くの体格とパワーを持った人間に太刀打ちしようと思うならば、せめて100%有効に”体”を駆使できる技術を身につけねばなるまい。呼吸法の習得は私たち日本人の、特に女性のフルーティストにとってこそ必需である。

この重大な技術の習得は、指の技術などのいわゆる「テクニック」や楽曲解釈への熱意に比べると、日本では多くのフルーティストに軽視されがちであると思う。もちろん「呼吸法の研究」に関してはその限りではない。医学的にも物理的にも、様々な見地からの研究がなされており、吹奏のための呼吸のメカニズムはほぼ解明され、理想的な呼吸法が体系化されつつある。しかしこれらの研究の成果がいかに普遍性を持った真実に近づこうとも、習得するとなるとそこからは非常に個人的な感覚の問題になってしまう。学習者は “自分の感覚” という甚だ心許ない手がかりのみを頼りに、”見えない目標” に向かってひたすら模索を繰り返している、というのが実情ではないだろうか。

 

2) 呼吸法習得の重要性

音質・音色の表現は、どのような音楽を演奏する上でも基礎・基本となり、また時には目的でさえあるが、その重要性はフルートという楽器にとって致命的とも言えるほど大きなものだと言えよう。フルートの技巧的魅力はピアノやヴァイオリンの持つような極限的な技巧性からは程遠く、また表現性においても言葉という武器を持つ”歌” つまり声楽の表現力を凌駕するようなものだとは言えない。ではフルートは取り柄のない楽器なのだろうか?決してそうではない。「笛」は太鼓や歌と同じく、音楽そのものの発祥と極めて近くして生まれたと言われる。ある古代分明において、笛という楽器には魔力があると信じられ、演奏が禁じられていたという。モーツァルトは有名な歌劇「魔笛」を残した。我が国にも例えば尺八を奏する虚無僧の「一音成仏」という精神がある。笛にはこのある種「魔法」の様な、何か人間の根本に訴える力が宿っている。この力が今現在まで我々を魅了して止まない笛の魅力なのである。そしてこの力はまさに “音” (音質・音色)そのものが生み出していると私は考えるのである。フルートという笛はとても素朴でありながら、たった一音で聴衆を魅惑することのできるパワーを秘めている。そして、この”音” の生命力を決定付けるものが「息」すなわち「呼吸」。極論、フルートの命は「呼吸」なのである。

フルートを演奏する技術のすべては、呼吸に端を発する。良い音(ソノリテ;仏/Sonorite)の源が良い呼吸であることは今ここで論じるべくもない。そして他のいわゆるメカニカルな技術要求に対しても、呼吸の重要さは何ら減じるところが無い。なぜなら、いかに完璧なフィンガリング、タンギングなどの技術を持っていようとも、良い呼吸をともなったソノリテがなければ何の効果も得られないからだ。逆に、呼吸の技術(ブレス・コントロール)を向上させることは、あらゆる面で良い結果につながると言えるだろう。

ところで、私の知る優れたフルート演奏家の中には、若い頃に専門的なスポーツのトレーニングをしていた経験があるか、水泳やハイキングなどで常に肉体の保持向上に勤めている、という人の割合が非常に高い。スポーツ選手なら誰でも走って体をつくるのは当たり前のことなのに、フルーティストがフルートを吹いているだけというのは、野球選手がキャッチボールしかしないようなものだ。声楽家がヴォイス・トレーニングのレッスンに通うのと同様に、フルーティストも呼吸の技術習得のための体づくりに時間を費やすべきである。

 

3) 森明彦氏の「新・発声入門」

森明彦氏はドイツ・デットモルトの発声学の権威フースラー教授の解剖学・音楽生理学に基づいた著書「Singen(うたうこと)」から学び、主催する発声研究所にて呼吸法を含むヴォイス・トレーニング法、つまり声楽家の「歌唱の為の “体” の使い方」の習得訓練法を広く紹介し、教授している。この森氏の「新・発声入門」は、そのメソードの実践の為の教則本である。

言うまでもなく声楽家にとっては “体” が楽器であり、彼らにとって自分の体を駆使する技術を身につける事は実際に歌うことと同等に重要な課題である。「新・発声入門」の中ではこの技術の習得課程が可能な限り体系化され、のみならず具体的な習得の実践方法が提案されている。個人的感覚の問題を完全に解決したとは残念ながら言えないが、重要なのは、各々の身体器官の運動、もしくは感覚に対し、医学的根拠に基づいて一つ一つ細分化された「目標」が設けられている点である。学習者はこれらの指針に沿って「見える目標」に向かって、建設的かつ実用的な方法で各々の技術を習得していく事が可能である。リード楽器や金管楽器の様に発音体を持たないフルートという楽器を演奏する上での呼吸法は、最も声楽のそれに近いと言われている。こと呼吸に関して同等の課題を抱える我々フルーティストが、この画期的アイディアを吟味してみる価値は充分にあると思う。

 

4) フースラー「うたうこと」

「Singen(うたうこと)」著書のフレデリック・フースラー(1889~1969)は歌手からスイスの声楽発声の教育者となった人物で、ミュンヘンやベルリン、デットモルトといったドイツ各地においても発声の指導に従事し、発声研究家としては世界的権威と名誉を得た。「うたうこと」は発声研究の聖典と言われている。

『フースラー教授は、原書の中で、声楽家の発声時の声を、耳から聞くだけでなく、あたかも身体の中の筋肉の動きを映し出して見ることができるように、解き明かされたのである。これまでの誰もが考え得なかった偉業を、なし遂げられたのである。』(フースラー「うたうこと」:訳者あとがき p.179)

『フースラー教授…かつて、イタリーのベルカントとドイツ発声が、完全に二分されていた時代に、美しい声を出す発声は一つであるという理念で、解剖学、音楽生理学を研究し、著書「うたうこと」を出版した。』(森明彦/「新・発声入門」p.164)

森氏は声楽家を志し、西ドイツに留学した際、このフースラー氏の後継者リンデンバウム氏に師事し、徹底的に発声のトレーニングを習得し、また指導法を伝授された。「うたうこと」の中では具体的トレーニング方法については何ら述べられていないのだが、「新・発声入門」を理解する上で非常に重要であり、かつまた全ての演奏家にとって有用な示唆に富んだ書である。以下に私が皆にこの呼吸訓練法を敢えてお薦めする勇気を与えたくだりをいくつか添えさせて頂く。

『人類という種族には歌う能力がある。人間はそういうふうに作られている。…ほとんど全部の今日の人間 ――つまりふつうの「声のない」人々は抑止された歌手なのである。』

『発声訓練教師は、歌う器官に外部からつけ加え得るものは何もないこと、歌うのに必要なすべての素質はすでにその器官の中に存在していることを理解しなければならない。…われわれにできることはすべて、自分自身を救うようにその器官を刺激することである。』

『偉大な歌手と言われる者は、彼の発声器官を自由に使うことができるのであって、しかもそれがすべてであり、それだけのことなのだ。彼の器官はめざめており、「解放されて」いる。…したがって、声の訓練に用いられる治療は、本質的に「解放する(自由にときはなす)」課程なのだ。』

(フースラー「うたうこと」: p.9~12)


 

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