● 自然歌手とは、この本では次の様に解釈すべきである。つまり、その発声器官が、最初から発声器官のもつ本性に適った、かなりよい働き方をしている歌手のことをいう。自然歌手と一般の歌手の異なる点は、一般の歌手では、適切な訓練によってはじめて、その声が解放され、訓練によってはじめて、本当の声が「引き出される」ことである。(p.4)
● 人類という種族には歌う能力がある。人間はそういうふうに作られている。…ほとんど全部の今日の人間 ――つまりふつうの「声のない」人々は抑止された歌手なのである。
偉大な歌手と言われる者は、彼の発声器官を自由に使うことができるのであって、しかもそれがすべてであり、それだけのことなのだ。彼の器官はめざめており、「解放されて」いる。…したがって、声の訓練に用いられる治療は、本質的に「解放する(自由にときはなす)」課程なのだ。 (以上、 p.9~12)
● 歌手が歌うときには当然息をはいているのだから、息を吸うということは歌手にとってとるにたらぬ問題である。横隔膜は呼気のあとではまったく意志の働きを必要としない。意志をはたらかせることはかえって、法則に適った調整の流れを乱すだけだ。 それだから、次のようにも言ってみたい;効果的に十分に呼気をする方法を会得しないうちは、決して正しく吸気を行なえるようにはならないだろう。 もし呼気が正確に、そして生理学的に正しい分量で行なわれさえすれば、呼吸器官を弛緩させるための練習などは無用である。そのときにはともかく、呼吸器官のどんな過った緊張も、もはやあり得ないということは明らかである。(p.50)
● 横隔膜は、まったくの感情的器官である。きわめて感動しやすい膜であり、ありとあらゆる感動や興奮は、自然に生じたものも技術的に作られたものも、すべてこれを通ってほとばしり出る門口でもある。横隔膜による表示は伝染性があって、聞く人の横隔膜もその表示に応答し、ともに感動させられ、かくのごとくして、他の人が歌うのを、実際にまったく肉体的に感得するのである。(p.118)
● 発声器官の悪い状態は、次の3つの主な欠陥に基づいている。
1. 神経支配の弱さ。これはいわば筋肉の鈍感なことである(反応性の減少)。
2. 弱すぎる筋の張力。これは筋肉のしまりのなさのことである。
3. 協応の不足。個々の筋および個々の筋群のあいだの協力が不正確なことである。(p.135)
●「生体内にある持続的緊張」…それは持続的な消極的な緊張状態であって、それによって生体は支えられている。健康な筋肉はすべて、働いているいないに係わらず、この緊張を内部に持っている。(p.136)