フルーティストのための呼吸訓練法セミナー(5)

8. フースラー「うたうこと」飛ばし読み

Singen(うたうこと)著書のフレデリック・フースラー(1889~1969)は歌手からスイスの声楽発声の教育者となった人物で、ミュンヘンやベルリン、デットモルトといったドイツ各地においても発声の指導に従事し、発声研究家としては世界的権威と名誉を得た。「うたうこと」は発声研究の聖典と言われている。森氏は声楽家を志し、西ドイツに留学した際、このフースラー氏の後継者リンデンバウム氏に師事し、徹底的に発声のトレーニングを習得し、また指導法を伝授された。「うたうこと」の中では具体的トレーニング方法については何ら述べられていないのだが、「新・発声入門」を理解する上で非常に重要であり、かつまた全ての演奏家にとって有用な示唆に富んだ書である。以下に論文に引用した部分だけ抜粋した。

 

● 自然歌手とは、この本では次の様に解釈すべきである。つまり、その発声器官が、最初から発声器官のもつ本性に適った、かなりよい働き方をしている歌手のことをいう。自然歌手と一般の歌手の異なる点は、一般の歌手では、適切な訓練によってはじめて、その声が解放され、訓練によってはじめて、本当の声が「引き出される」ことである。(p.4)

● 人類という種族には歌う能力がある。人間はそういうふうに作られている。…ほとんど全部の今日の人間 ――つまりふつうの「声のない」人々は抑止された歌手なのである。

発声訓練教師は、歌う器官に外部からつけ加え得るものは何もないこと、歌うのに必要なすべての素質はすでにその器官の中に存在していることを理解しなければならない。…われわれにできることはすべて、自分自身を救うようにその器官を刺激することである。

偉大な歌手と言われる者は、彼の発声器官を自由に使うことができるのであって、しかもそれがすべてであり、それだけのことなのだ。彼の器官はめざめており、「解放されて」いる。…したがって、声の訓練に用いられる治療は、本質的に「解放する(自由にときはなす)」課程なのだ。 (以上、 p.9~12)

● 歌手が歌うときには当然息をはいているのだから、息を吸うということは歌手にとってとるにたらぬ問題である。横隔膜は呼気のあとではまったく意志の働きを必要としない。意志をはたらかせることはかえって、法則に適った調整の流れを乱すだけだ。 それだから、次のようにも言ってみたい;効果的に十分に呼気をする方法を会得しないうちは、決して正しく吸気を行なえるようにはならないだろう。 もし呼気が正確に、そして生理学的に正しい分量で行なわれさえすれば、呼吸器官を弛緩させるための練習などは無用である。そのときにはともかく、呼吸器官のどんな過った緊張も、もはやあり得ないということは明らかである。(p.50)

● 横隔膜は、まったくの感情的器官である。きわめて感動しやすい膜であり、ありとあらゆる感動や興奮は、自然に生じたものも技術的に作られたものも、すべてこれを通ってほとばしり出る門口でもある。横隔膜による表示は伝染性があって、聞く人の横隔膜もその表示に応答し、ともに感動させられ、かくのごとくして、他の人が歌うのを、実際にまったく肉体的に感得するのである。(p.118)

● 発声器官の悪い状態は、次の3つの主な欠陥に基づいている。

1. 神経支配の弱さ。これはいわば筋肉の鈍感なことである(反応性の減少)。
2. 弱すぎる筋の張力。これは筋肉のしまりのなさのことである。
3. 協応の不足。個々の筋および個々の筋群のあいだの協力が不正確なことである。(p.135)

●「生体内にある持続的緊張」…それは持続的な消極的な緊張状態であって、それによって生体は支えられている。健康な筋肉はすべて、働いているいないに係わらず、この緊張を内部に持っている。(p.136)


 

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